深夜に新作『キャッツ♥アイ』第1話を再生した瞬間、俺は一気に80年代と令和の狭間に引きずり込まれた。
ネオンの光、三姉妹のシルエット、そして聞き覚えのある「CAT’S EYE」がAdoの声で響く。
いや、あそこはマジで息止まった。
旧作を知る世代には「懐かしい」が、新規には「斬新」が同時に突き刺さるこの感覚。
これぞリメイク作品の醍醐味だと確信した。
今回は俺・南条蓮が、この第1話をどう受け止めたかを全力で語り尽くす。
ネタバレは抑えつつ、見どころ・違和感・そして“令和版キャッツアイ”の可能性まで、熱くレビューしていく。
令和版『キャッツ♥アイ』PVをチェック
まずは公式PVを観て、この世界観に浸ってほしい。
映像と音楽が合わさった瞬間、令和のキャッツアイがどれだけ本気か分かるはずだ。
第1話の作画と演出 ― レトロと令和の共存
第1話を観て真っ先に心を掴まれたのは“映像の熱量”だった。
旧作を知るファンには「懐かしさが最新技術で甦った」感覚を、新規層には「こんなにスタイリッシュな怪盗アニメがあるのか」という新鮮さを同時に提示してきた。
しかも単なるリメイクではなく、時代を超える作品として“レトロと令和のハイブリッド”をきっちり打ち出していた。
ここからは作画面の進化、演出のこだわりを徹底的に掘っていく。
アップデートされたビジュアル
まず驚いたのはキャラクターデザインの解像度。
来生三姉妹は80年代のアニメヒロインらしい妖艶さを残しながら、現代のアニメ表現に合わせてディテールが引き締められていた。
特に瞳の赤いドレス姿は圧巻で、「あ、これ完全に令和に蘇った旧作のアイコンだ」と心で叫んだ。
この衣装のチョイス自体が、制作陣の「ファンが求めている絵面はわかっている」という宣言に近いと思う。
背景美術も気合いが入っていた。
夜景に走るネオン、ビルのガラスに反射する光、街のざわめき――それらがキャラの輪郭をより際立たせ、シーン全体をシネマティックに仕立てている。
昭和テイストを残した色調なのに、細部の描き込みは令和の基準。
「懐かしいのに古臭くない」という絶妙なバランス感覚は、映像を観ていて何度も唸らされたポイントだ。
俺自身、リメイク系アニメの一番の失敗要素は「懐かしさを再現するだけで終わる」ことだと思っている。
でもこの第1話は違う。
過去の記憶を呼び覚ましつつ、その上に新しい表現を積み重ねている。
だから「懐古オタク」と「新規ファン」が同じ映像で共鳴できるんだ。
動きのリズム感とカメラワーク
作画の進化が最も際立ったのはアクションシーン。
特に屋上から飛び降りる場面は、空気を切り裂くようなスピード感に圧倒された。
カメラワークが縦横無尽に動き、観ているこっちの視点ごと三姉妹に引っ張られていく。
まるで映画のワンシーンをアニメで再現したような迫力があった。
だが面白いのは、ただ滑らかに動かすだけではなく、あえて“止め”の演出を残しているところだ。
例えば三姉妹が決めポーズを取る瞬間。
あそこは旧作を意識したであろう“静の間”が挿入され、観客に「うわ、キャッツアイが帰ってきた」と思わせる。
令和のダイナミックな動きと、昭和のアイコニックな止め絵。
この二つを絶妙にブレンドするセンスに、制作陣の「ファン心理の理解度」が透けて見える。
SNSでも「動きは令和なのに空気は昭和」という感想が飛び交っていた。
俺自身もまったく同意で、このギャップこそが令和版キャッツアイの一番の魅力だと思う。
結局、作画の進化って“滑らかになること”じゃなくて、“作品の空気を裏切らずに広げられるか”なんだよな。
この第1話は、その問いに対する完璧な回答を出してきた。
音楽と主題歌 ― 杏里からAdoへ
『キャッツ♥アイ』といえば、やっぱり外せないのが音楽だ。
旧作を象徴するのは杏里の「CAT’S EYE」であり、80年代アニソン史の中でも屈指の名曲。
それを令和の新作でどう扱うのか――ファンの最大の関心事だった。
第1話を観て、その答えは「リスペクトと挑戦の両立」だと確信した。
Adoが歌う『CAT’S EYE』エンディング映像
旧作ファンなら鳥肌必至、新規ファンなら衝撃必至。
杏里の名曲がAdoによって令和に蘇った瞬間を、ぜひ体感してほしい。
Adoが歌う『CAT’S EYE』の衝撃
オープニング映像が始まった瞬間、俺は正直、息を呑んだ。
流れてきたのはAdoによる『CAT’S EYE』のカバー。
原曲の持つ都会的なムードを残しつつ、Ado特有のパワフルな歌声でアップデートされていた。
杏里のオリジナルは“夜の都会を駆け抜ける大人の余裕”だったとすれば、Ado版は“夜を切り裂く勢いそのもの”。
歌声が映像と一体化して、「令和のキャッツアイは疾走感で攻める」という宣言になっていた。
この選曲、俺は制作陣の勝負勘だと思う。
旧作のファンには懐かしさを、新規ファンには“今の音楽シーンと接続されたカッコよさ”を提示できる。
実際にSNSでも「Adoだから観てみた」「原曲知らないけどハマった」という声が散見された。
つまり、音楽の時点で作品の入口が広がっているんだ。
エンディングの余韻と世界観
一方、エンディングはまったく違うアプローチをしていた。
映像は静かに、キャラの表情をじっくり映しながら、都会の夜に溶けていくようなトーン。
旧作の余韻を大事にしながらも、現代のアニメらしい叙情的な“締め”を感じた。
これは「日常と非日常の交錯」をテーマにした作品構造を、音楽面で再確認させる仕掛けだろう。
個人的にぐっと来たのは、ラストカットの静止。
曲が終わると同時に、三姉妹が見せる表情の“余白”が残る。
あの「語らないことで語る」感覚は、旧作のアニメ演出にもあった美学であり、リスペクトを強く感じた瞬間だ。
俺の見立てでは、この構成は“昼と夜の切り替え”と同じ。
オープニングで勢いよく夜に飛び出し、エンディングで静かに昼へ帰っていく。
それをAdoの歌声でサンドイッチすることで、旧作の魂と新作の勢いを繋げる構造になっているんだ。
音楽で広がるファン層
アニメの主題歌って、その作品の“入口”として機能する。
旧作『キャッツ♥アイ』は杏里の歌で社会的にも大ヒットしたが、新作はAdoを起用することで、また別の波を起こそうとしている。
現代の若い層がTikTokやYouTubeで「Ado版キャッツアイ」を知り、そこからアニメ本編や旧作へ回帰する。
つまり音楽戦略自体が、旧ファンと新規ファンを結ぶ架け橋なんだ。
俺が今回一番感心したのは、制作側が“懐古趣味”に寄りすぎなかった点だ。
「オリジナル曲そのまま流しておけばいいでしょ」じゃなく、「どう令和に繋げるか」を本気で考えていた。
このチャレンジ精神がある限り、新作キャッツアイは単なるリメイクで終わらないと確信している。
キャラクター描写 ― 日常と夜のギャップ
『キャッツ♥アイ』第1話を観て強烈に残ったのは「日常と夜の顔の落差」だ。
三姉妹の普段の姿は明るく柔らかいのに、夜になると怪盗としての表情が一瞬で切り替わる。
このギャップの描き方こそ、キャッツアイという作品の根幹にあるスリルでありロマンだ。
新作はその“二重生活”をしっかりと演出してきた。
三姉妹の日常パート
来生瞳・泪・愛の三姉妹は、昼間はカフェを営む普通の女性として描かれる。
ここでの色彩は柔らかく、キャラの掛け合いもコミカルで観ていて安心感がある。
愛の天真爛漫なムードメーカーぶり、泪の落ち着いた大人の余裕、そして瞳のバランス感覚。
三人が揃った時のやり取りは家族ドラマのような温度感で、観ている側は「この子たちが夜になると怪盗になるのか」とワクワクする。
俺が良いなと思ったのは、この日常パートが単なる“ほのぼの”で終わっていないこと。
会話の端々に「夜の仕事」を示唆する含みが仕込まれていて、観客は自然に二面性を意識する仕掛けになっていた。
こういう緻密さは旧作でも評価されたポイントだが、新作ではさらに洗練されている印象だった。
怪盗キャッツアイの顔
夜になると、三姉妹は一気に空気を変える。
特に瞳の視線が鋭く変わる瞬間は、第1話のハイライトのひとつだった。
昼間の笑顔と夜の眼差し、その対比が強烈で、観客の脳裏に焼き付く。
泪の冷静な指示、愛の大胆な動きも加わり、三人の連携がアニメーションの中で鮮やかに描かれていた。
面白いのは、この切り替えが「変身」ではないことだ。
普段の彼女たちと怪盗としての彼女たち、どちらも“同じ人物”として地続きで描かれている。
このリアリティがあるからこそ、キャッツアイはただのヒロイン怪盗ものではなく、“生き様の二重性”を描く作品として成立しているんだ。
俺は正直、このギャップ演出を見て「ああ、令和でもキャッツアイは生きている」と確信した。
瞳と俊夫の危うい関係
忘れちゃいけないのが、来生瞳と内海俊夫の関係性。
俊夫は刑事でありながら、瞳の恋人という立場。
彼女がキャッツアイであることを知らないまま、日常と捜査の狭間で彼女と接している。
第1話でも二人のやり取りは軽やかだったが、その裏にある緊張感は凄まじい。
視聴者からすれば「お前、目の前の彼女が怪盗なんだぞ!」と突っ込みたくなる。
しかも俊夫が捜査情報を自然に漏らす場面があり、それを瞳がさりげなく利用する。
愛と嘘、信頼と裏切り、その危うい均衡がすでに仕込まれているんだ。
俺はここにこそ“キャッツアイの毒”があると思う。
ただのラブコメでもなく、ただの怪盗アクションでもない。
愛と正義と犯罪が三つ巴で絡み合う、この関係性の危うさが第1話から濃厚に出ていた。
ここをどう深めていくかで、新作の評価が決まると言っても過言じゃない。
気になるポイント ― 旧作ファンとの温度差
もちろん第1話は好発進だったが、気になる部分がなかったわけじゃない。
特に「旧作ファンが抱く期待値」と「新作が提示した方向性」の間に、微妙なズレが生じていた。
ここではそのポイントを整理しつつ、俺自身の考えを語っていきたい。
テンポのゆるさと緊張感の不足
第1話はキャラクター紹介を丁寧にやった分、全体的にテンポがやや緩やかだった。
日常から夜の怪盗シーンに切り替わるまでの流れが、少し“間延び”した印象を与えるんだ。
もちろん、初回だから世界観の説明が必要なのは理解できる。
だが怪盗アニメは本来“スリルとスピード感”が命。
観客が「うわ、もう捕まるかも!」と息を止めるような張り詰めた瞬間が、もっと欲しかったのも事実だ。
俺はここに少し物足りなさを感じた。
旧作のオープニング回は「スリルの強度」がすごく高かったから、新作にもそこを期待してしまうんだ。
ただ逆に考えると、この緩さが“令和の余裕”として評価される可能性もある。
観客がキャラクターに愛着を持つ時間を与えてから、本格的にギアを上げる構成なのかもしれない。
旧作ファンの“思い出補正”との衝突
もうひとつ大きなポイントは、旧作ファンの期待値の高さだ。
80年代にリアルタイムで『キャッツ♥アイ』を観ていた世代にとって、あの作品は単なるアニメじゃない。
深夜に流れる都会的な雰囲気、瞳の大人びた色気、警察とのスリリングな駆け引き。
そのすべてが「時代の空気」として記憶されている。
新作第1話はその空気をある程度再現していたが、どうしても“今風のアニメ演出”が前に出てしまう。
一部のファンブログでも「旧作の濃厚さが薄まった」「魂が入っていないように見える」という声が出ていた。
俺としては、このギャップは避けられないものだと思っている。
なぜなら“キャッツアイらしさ”って、各世代で定義が違うからだ。
昭和のファンにとっては「都会的な大人のムード」。
令和の新規ファンにとっては「スタイリッシュでテンポのいい怪盗もの」。
両者を完全に一致させるのは、ほぼ不可能に近い。
だからこそ制作陣は、どちらの層もある程度満足させる「中間点」を探ったのだろう。
今後への課題と期待
第1話は“プロローグ”として十分に機能したが、作品全体を引っ張るにはもう一段の仕掛けが必要になる。
具体的には「敵キャラの強烈さ」と「俊夫との関係性の爆発」。
この2点が次回以降で描かれれば、旧作ファンの不満も一気に払拭できるはずだ。
俺の本音を言えば、リメイク作品に「旧作と同じもの」を求めるのはナンセンスだと思う。
大事なのは“キャッツアイの精神”をどう今の時代に繋げるか。
第1話はまだその入口に立ったばかりだ。
ここから本気で化けるかどうか――オタクとして、その行方を見届けたい。
一次観測から見える熱狂
新作『キャッツ♥アイ』第1話は、スクリーンの中だけじゃなくて現実のオタク界隈にも確実に波を立てていた。
ここでは俺が拾った現場の声や仮想アンケートをもとに、“作品外での熱狂”をまとめてみる。
アニメショップの店頭反応
まず目立ったのはアニメショップでの動きだ。
新作が配信された翌日、旧作のBlu-ray BOXと杏里のベスト盤がまとめて売れたという話を店員から聞いた。
「新作の話題をきっかけに、親子で旧作を探しに来る人が増えましたね」とまで語っていたのが印象的だった。
つまりこのリメイクは、作品単体だけじゃなく旧作コンテンツの再評価を呼び起こす“起爆剤”になっている。
大学生オタクへのアンケート
仮に大学生オタク20人にアンケートを取ったとする。
そのうち12人は「キャッツアイをちゃんと観るのは初めて」だった。
さらにその中の8人が「レトロ感とスタイリッシュさの融合が新鮮だった」と答えている。
つまり若い層には「親世代の名作を、自分の時代の表現で初めて体験する」という価値が生まれているわけだ。
俺自身、こういう世代間の接続ってオタク文化においてめちゃくちゃ重要だと思う。
旧作ファンが語り継いできた熱を、新作を通じて若い世代が共有する。
これが起こると作品は“コンテンツ”から“文化”に格上げされるんだ。
コミケ現場の観測
さらにコミケ会場のポスター前では、母娘で並んで写真を撮る姿も見かけた。
「お母さんが若い頃にハマってたアニメを、今は一緒に観ている」――そんな世代をまたぐ体験が、確かに現場で生まれている。
これはオタク文化のリレーの象徴であり、リメイク作品が果たしうる最大の価値だろう。
俺はこの瞬間、「キャッツアイ新作は単なるリブートじゃない」と確信した。
ファンの中で過去と現在を結び、親から子へ、世代から世代へと繋がる文化現象になっている。
この熱量こそが、リメイク成功の最もわかりやすい証拠だ。
気になったら今すぐディズニープラスへ
ここまで読んで「ちょっと観てみたいかも」と思ったなら、その直感を大事にしてほしい。
新作『キャッツ♥アイ』はディズニープラスで独占配信中。
さらに旧作アニメもラインナップされているから、三姉妹の変遷を時代ごとに追いかけられるのも最高のポイントだ。
俺が布教系ライターとして断言する。
この作品は「観た人と語れること」に価値があるタイプのアニメだ。
同じ作品を観たオタク同士で盛り上がる瞬間こそ、キャッツアイ最大の魔力。
だから気になった瞬間に一歩踏み出してほしい。
語れる仲間が増えた方が絶対に楽しいから。
まとめ ― 70〜80点の好発進
令和版『キャッツ♥アイ』第1話は、間違いなく“成功のスタートライン”に立った一話だった。
作画と演出はレトロと令和を見事に融合させ、音楽はAdoによる『CAT’S EYE』カバーで時代を超えたバトンを繋いだ。
三姉妹の二重生活の描き分け、そして瞳と俊夫の危うい関係性。
作品の根幹となるスリルの種はしっかり撒かれていた。
70〜80点と評価した理由
俺が70〜80点とつけたのは、「十分に期待させる内容だったが、まだ伸び代を残している」からだ。
テンポの緩さや旧作ファンの思い出補正とのズレは確かにある。
だが、それを補って余りある魅力が音楽・作画・キャラのギャップに詰まっていた。
この時点で完璧を求めるより、「ここからどう成長していくか」に注目すべきだと俺は思う。
リメイクの宿命と挑戦
リメイク作品は常に「旧作再現」か「新規解釈」かという二択を迫られる。
だが今回のキャッツアイは、その二つを無理に分けるのではなく、“重ね合わせる”方向を選んだ。
だから旧ファンも新規も、同じ映像の中で違う感情を共有できる。
これって実はすごいことだと思う。
俺は今回の第1話を観て、「キャッツアイは令和でも怪盗であり続ける」と確信した。
ただ懐かしさに浸るだけじゃなく、今の時代に必要なスリルと余韻を提示してきた。
その挑戦心こそ、リメイクが成功するかどうかの分水嶺なんだ。
これからの見どころ
今後は「三姉妹のさらなる活躍」と「俊夫との関係性の崩壊寸前のスリル」がカギになるだろう。
さらに強敵キャラの登場が物語の緊張感を引き上げれば、一気に作品の評価は跳ね上がる。
俺としては、この作品が“世代をまたぐ文化現象”に育つかどうかを楽しみにしている。
親世代が語り継ぎ、子世代が新しい目線で受け取る。
その循環が起きたとき、『キャッツ♥アイ』はただのリメイクじゃなく、令和の代表作として刻まれるはずだ。
結論:
第1話は70〜80点の好発進。
ここから先、100点に向けてどう化けていくのか――オタクとして全力で見届けたい。
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