『ウィッチウォッチ』は、篠原健太によるジャンプ連載のラブコメ・ギャグ作品で、2025年春にアニメ化された。
しかし、ネット上では「つまらない」「笑えない」といった声も多く見られる。
本記事では、なぜ『ウィッチウォッチ』が一部の視聴者にとって「つまらない」と感じられるのか、その理由を深掘りしていく。
ギャグのテンポと視聴者のズレ
『ウィッチウォッチ』が「つまらない」と言われる最大の理由、それはギャグのテンポと受け手のリズムがズレていることだ。
「一応笑えるんだけど、どこかスベってる感じがする」──そんな感想を持つ視聴者が多い。
これは、ギャグアニメとして最も致命的なズレでもある。
原作とアニメでのギャグの違い
『ウィッチウォッチ』は原作だとテンポのいいツッコミや、絶妙に“狙いすぎてない”ボケが売りだ。
だがアニメになると、間の取り方やカット割りのリズムが変わる。
その結果、「文字で読むと笑えるけど、声で聞くと滑って見える」という現象が起きてしまう。
特に、モイちゃんの変化球ギャグは声優が真面目に演じすぎると逆にスベる。
これは「笑わせよう」とする意志が強すぎることの副作用だ。
視聴者の期待とのギャップ
篠原作品といえば『SKET DANCE』だが、あちらはリアルタイムで育った層にとって青春ギャグの金字塔だ。
その記憶を背負って観た人にとって、ウィッチウォッチの「ややおっとりしたギャグ」は拍子抜けだろう。
特に、ジャンプギャグに求められる「瞬発力のある笑い」からは一歩ズレている。
これが「なんかぬるい」「つまらない」と感じる根本だ。
テンポの速さが逆効果に
一方で、アニメ版では早口・カット多め・セリフの応酬が目立つ。
しかし、早口=テンポが良い、ではない。
ボケとツッコミの“間”が詰まりすぎると、視聴者は「何が面白かったか」を考える余裕を失う。
これは“笑い”というより“情報処理”に近くなってしまい、視聴後に「別に面白くなかったな」という感覚が残る。
笑いのポイントが伝わりにくい
キャラの掛け合いで「これは笑うところなのか?」と迷う場面も多い。
それは演出側が“面白い空気”を作るのに失敗しているからだ。
たとえば、音楽や間の妙、表情芝居などで「ここはボケですよ」とナビゲートする工夫が足りない。
ギャグアニメは演出の説得力がすべてだ。
視聴者を“笑う気分”にさせる土壌が整っていなければ、どんなボケも空転してしまう。
『ウィッチウォッチ』のアニメは、原作の「ちょっとクセあるギャグ」を丁寧に言語化することなく、“それっぽいノリ”で処理してしまっている。
その結果、ギャグの輪郭がボヤけて、「何となく見たけど、何となく笑えなかった」という感想が生まれるわけだ。
ギャグとは“伝える技術”でもある。
そして今の『ウィッチウォッチ』アニメ版は、その技術に少し粗さが残っている。
ラブコメ要素の希薄さ
ギャグだけで押し切れない場合、作品の軸として期待されるのがラブコメだ。
だが『ウィッチウォッチ』は、そのラブコメ要素がどうにも薄味なのだ。
「お互い好きなのに進展しない系」のジレジレ展開が、視聴者の焦れと飽きを生んでしまっている。
恋愛描写の進展が遅い
桃歌と守仁──このふたり、明らかに両思いっぽい空気を出しながら、ほぼずっと同じ位置で足踏みしている。
もちろん「焦らし」がラブコメの定石であることは承知だ。
だがそれが長く続くと、読者は「もうええわ」となる。
しかも、日常ギャグと組み合わせることで、恋愛描写の「機運」がことごとく中断される。
これでは感情の積み上げも期待できない。
ヒロインの感情表現の乏しさ
桃歌は守仁に好意を持っている、という設定はある。
だが彼女の表情や言葉に、「好き」の温度が見えづらい。
感情表現が乏しいわけではないのだが、ギャグに飲まれて内面の機微があまりにサラッと流される。
視聴者から見れば「この子、何を考えてるのかイマイチわからない」となってしまう。
カップルとしての魅力不足
守仁と桃歌は、たしかに相性は良い。
だがカップルとして見た時の「応援したくなる感じ」や「ドキドキ感」が極端に薄い。
これはラブコメとして致命的だ。
「このふたり、くっついたら面白いな」ではなく、「たぶんずっとこのままだろうな」と思わせてしまう。
その予感があると、関係の変化にワクワクしなくなる。
視聴者の共感を得にくい関係性
守仁は桃歌の護衛として付き添う設定だが、その関係が「義務」である以上、恋愛としてのリアリティが出にくい。
また、ふたりの間にあるべき葛藤──「好きだけど、立場的に言えない」といったドラマも薄い。
こうした“わかりみ”ポイントが希薄なので、視聴者は「はいはい、仲良いんでしょ」と醒めた目になる。
結果、視聴体験としてはどこか他人事感が強くなる。
ラブコメというジャンルは、「好き」と言えない苦しみ、「伝わらないこと」のもどかしさこそが魅力だ。
『ウィッチウォッチ』はその苦味を避け、ほんのり甘い水だけを延々と提供している。
それでは視聴者の心に“ドラマの沈殿物”が残らない。
ただの淡泊な水飲み場と化してしまうのだ。
キャラクターの魅力と描写の問題
物語におけるキャラクターとは、読者の「感情の受け皿」である。
しかし『ウィッチウォッチ』のキャラたちは、なぜかその受け皿がどこか浅い。
「嫌いじゃないけど好きになれない」──そんな微妙な距離感が続いてしまう。
主人公の個性が弱い
守仁は一言で言えば「真面目で無口で力が強い」タイプだ。
だがそれ以外の人格がほとんど見えてこない。
「守仁って、何が好きなの?何に悩むの?」という問いに、即答できる読者は少ないはずだ。
無口キャラは内面の描写が重要になるが、ウィッチウォッチではそこをギャグで包んでしまうため、人物像が薄くなる。
この“個性の輪郭の曖昧さ”が、読者の感情移入を阻んでいる。
サブキャラの活躍不足
サブキャラたちは設定上かなり面白い。
だが、彼らの活躍が「1話完結のネタ担当」にとどまっており、ストーリーの芯に絡んでこない。
せっかく濃いキャラが多いのに、物語に影響を与えるほどの存在感がない。
結果として、視聴者にとっては「空気を読まない変なやつ」で終わってしまう。
キャラデザインの印象の薄さ
ビジュアル面でもキャラの印象は弱めだ。
パッと見で「この子、どんな性格?」とわかるデザインが乏しい。
ジャンプ作品においては、「視覚的に記憶に残る」がとても重要だ。
ウィッチウォッチのキャラは、個々で見れば悪くないが、「集合すると個性が埋もれる」現象が起きる。
これではファンアートやグッズ人気にもつながりにくい。
キャラクター同士の関係性の浅さ
ラブコメ+ファンタジーというジャンルであれば、もっとキャラ同士の“ぶつかり”があっていい。
だがこの作品では、キャラ間の衝突や葛藤がほとんどない。
結果、「お互いに干渉しない優しい世界」になってしまい、ドラマが生まれない。
視聴者は「なんか平和すぎて退屈」と感じるようになる。
キャラは「設定」ではなく「関係性」で生きる。
いまの『ウィッチウォッチ』は、“生きたキャラクター”よりも、“作られた設定”が前に出すぎている。
そのため、どうしてもキャラが「他人」に見えてしまう。
この距離感のままでは、物語への没入は難しい。
ストーリー展開の平坦さ
物語を走らせるエンジンが弱い──それが『ウィッチウォッチ』のもうひとつの致命傷だ。
ギャグとラブコメという“ふわっとした動機”で動く展開は、時に気持ち良いが、長く続くと「で、何がしたいの?」という疑問に変わる。
読者・視聴者は、物語の“引力”を感じなくなってしまう。
起伏の少ないエピソード
1話完結型の小ネタ展開が中心なため、各話にドラマの波がない。
「緊張→爆発→収束」といった山場構造が希薄で、淡々とイベントを見せられている印象を受ける。
ジャンプ読者が求めるのは「熱」「覚悟」「選択」だ。
そこが感じられないと、やはり「ジャンプらしくない=つまらない」という評価に繋がる。
緊張感の欠如
『ウィッチウォッチ』には敵がいない。
もっと言えば、「危機」が存在しない。
ファンタジー設定があるにもかかわらず、それが日常とゆるく融合しているだけで、物語における緊張感は皆無に近い。
魔法や鬼の存在も、「便利なギャグ道具」に収まってしまっているのだ。
予想外の展開の不足
「次、何が起こるんだろう?」というワクワク感が希薄だ。
展開に驚きがなく、「たぶんまたちょっとした騒動→ギャグで解決→元通り」のパターンに収まりがち。
物語は、予想外の出来事が起きることで視聴者の脳に“フック”を残す。
しかしこの作品では、その“ノイズ”が足りない。
良くも悪くもスムーズすぎるのだ。
視聴者を引き込む要素の欠如
結果として、視聴者が「次回が待ちきれない」と感じる要素がない。
ドラマ的な“溜め”や“仕込み”が足りないので、各話の終わりもフラットに感じられる。
例えるなら「最後のチャイムが鳴ってない授業」のようなものだ。
視聴体験にメリハリがなく、淡白な印象が強く残る。
『ウィッチウォッチ』の物語は、細部にユーモアを感じる場面もある。
だが物語全体として見ると、「起承転結」が“起→転→転→転→起”くらいのぐるぐる回転構造に陥っている。
それはそれで心地よい人もいるが、強い物語体験を求める層には物足りなく映る。
ラブもギャグも“副菜”でしかなく、メインディッシュが見えてこないのだ。
ウィッチウォッチの評価と今後の展望
ここまで“つまらない”と言われる理由を見てきたが、それは期待とのギャップが大きかったとも言える。
では、この作品に未来はないのか? 答えはNOだ。
今後の展開次第で評価は大きく変わる可能性がある。
原作ファンの期待との乖離
『SKET DANCE』時代の篠原ファンは、より鋭く、エッジの効いた笑いを期待していた。
しかし『ウィッチウォッチ』では、ギャグの“パンチ力”がやや優しくなっている。
これは作風の変化であり、決して手を抜いているわけではない。
ただ、ファンの中に「もっとやれるはずだろ」という不満があるのは事実だ。
アニメ化による新規ファン獲得の難しさ
アニメ化は本来、ファン層拡大のチャンスだ。
だが、初見の視聴者には「ゆるい空気」「淡白な関係性」が伝わりにくい。
その結果、「これは途中から観る作品じゃないな」と離脱されてしまう。
作品のテンションが“入門者向け”でない点も、新規の参入障壁になっている。
今後の展開に期待するポイント
ただし、ここから“ストーリーアーク”が動き出せば一気に印象は変わる。
敵役の登場、守仁の過去の深掘り、桃歌との関係の変化──いずれもポテンシャルはある。
作品の中心に“目的”や“戦い”が加われば、物語全体の重心がグッと下がる。
それがあってこそ、ギャグも恋も活きるようになる。
改善の余地と可能性
『ウィッチウォッチ』は“完成された作品”ではない。
むしろ今は“素材”としての魅力を持った段階だ。
キャラクターの掘り下げ、物語の推進力、演出の緩急──これらを調整すれば、大化けする可能性は十分ある。
現時点での課題が明確な分、改善点もまた明確なのだ。
「面白くない」と感じた人にとっても、その“違和感”の正体がわかれば、むしろ次回が楽しみになる。
『ウィッチウォッチ』は、まだ“転”の章にいる。
この先、“結”に至るストーリーがどう転ぶか。
そこに希望を感じている層は、意外と多いはずだ。
まとめ:ウィッチウォッチがつまらないと感じる理由とその背景
『ウィッチウォッチ』が「つまらない」と評される背景には、ギャグのズレ・ラブコメの希薄さ・キャラの薄さ・物語の平坦さと、ジャンル複合作品にありがちな“器用貧乏”構造がある。
一つ一つは決して悪くない。
だがそれぞれがかみ合わず、結果として“笑えず、トキめかず、燃えない”という三重苦を生んでいる。
ギャグとラブコメのバランスの難しさ
ギャグに振ればドラマが浅くなり、ラブを強めればテンポが死ぬ。
この「二兎を追う者が両方をすり抜けた」ような構成が、物語の軸をぼやけさせている。
ギャグと恋愛を両立させるには、もっと緻密な構造設計が必要だ。
キャラクターとストーリーの魅力の再構築
設定は魅力的だが、読者の心に刺さる“引っかかり”が弱い。
感情を揺さぶるためには、キャラの内面や関係性にもっと“毒”や“火種”を加える必要がある。
また、物語もただの“日常の断片”ではなく、“変化の連鎖”を見せる必要がある。
視聴者の期待に応えるための工夫
「おもしろそう」ではなく、「また観たい」と思わせるには、作品が視聴者と対話する必要がある。
つまり、「あなたの感情に応えたい」という制作側の熱量が、画面越しに伝わることが重要だ。
現時点ではその熱がやや低く見える。
だが、そこを見直すだけで空気感は劇的に変わる。
今後の展開に期待する視点
作品はまだ伸びしろだらけだ。
むしろ、今の“つまらなさ”を糧にした爆発が見たい。
キャラが泣き叫び、物語が燃え、ギャグが炸裂する瞬間──それが来たとき、『ウィッチウォッチ』は“語り継がれる作品”に進化するかもしれない。
「今はまだ、面白くないだけ」。
この言葉をポジティブに捉えるか、ネガティブに捉えるか。
それこそが、視聴者が『ウィッチウォッチ』に向ける最大の選択肢だ。
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